ストーリズム
Noriが近年の作品に観られる
ストーリー性 仮に ストーリズム と呼んでおこう
左の絵は静物画がベースとなっているが
全体の雰囲気が 結婚式 あるいは南国で二人のカップルが砂浜を歩いて何かを語っている、それは
聖なる契りによって結ばれた二人を中央の石膏の聖女あるいはそのほかのモチーフが祝福している
そんなストーリズムを想い起される。
聖女とカップル
2015年 S30
とある南国のビーチェアとウクレレ
2014年 M50
左の絵も静物画がベースとなっているが南国、
世界のどこにある南の地かわからないが、ふと
手前のビーチチェアーでシャツを着てウクレレを弾きながら座りたくなるような想いに鑑賞者を
彷彿とさせる。
そんなストーリズムだ。
街の中でたたずむサッカー少年
2015年 P50
このサッカーボールを持っている少年。この少年はなぜ街の真ん中でサッカーボールを持ってたたずんでいるのだろう。
この少年はサッカーをやりたい。シャツもそろえてボールも用意したのにグランドでプレーすることができない。
街の雑多なことに時間とお金を費やされて自分の本当にしたいサッカーというスポーツができない。
ただサッカーをプレイするという夢だけが取り残されている。
・・そんなストーリズムも垣間見れる。
12月のオーロラ
2014年 S30
12月の寒い時期。サンタクロースがプレゼントを運んでくれると思っていた子供の頃。そのサンタは極寒の地からはるばるやってくるのか。バイオリンやカメラでいろいろバリエーションを加えてなんだか賑やかなクリスマスだ。
互いの方向を向く石膏と牛骨
2016年 M50
草原にヌーの群れが駆けずり回っている。その風景を二つの静物が静観している。ところがこの牛骨と静物は正反対の意志をもって一つのテーブルの上に載っている。狭い空間の中で意見が食い違いながらもその世界を受け入れることで緊張感を保ちながらも整然とした空間を成立させている。
アニマルズ・ガール
油彩・コラージュ P40
様々な動物たちを囲んでとある女が腰を掛けている。この女性は動物が好きでいつも一緒にいたい
そのような空想が彼女を夢の世界へと誘う。
コラージュの作品でありやや装飾的な作品である。
新緑のマネキン
油彩 S30
清涼とした緑樹の中、マネキンが微笑を含んでいる。まるでこのマネキンは生きていて何かを語り気なようだ。ボールと倒された花瓶はそばでマネキンとそばにいることで安堵と平穏を得られている、そんな空気感だ。
秋月の花たち
2015年 油彩 S30
秋の夜長の中ひっそりと佇む花々。おしとやかに花たちは月の光によってほんの少しクローズアップされて
我々の前に姿を見せる。静寂によって花の存在がより強調されて色が付されている。僕の作品の中では少し寂しげな
作品化もわからない。
たそがれ時の地球
2016年 油彩 S30
真っ赤な夕日を背に照らされて地球儀がテーブルに乗っている。夕日よりも下の部分では楽器やら飲み物などが置いてあり
人間の生活感を表しているが、いざ地球は孤独な宇宙に佇みただ太陽に照られるだけの存在を認識している。
人間の文明社会が繁栄する一方、地球は空間に確かにここにしかない唯一無二の存在がある種の矛盾を感じさせる。
ラスコー洞窟を洞察する眼差し
2017年 S30
EYEシリーズの作品の一つでもある。
絵の起源とされるラスコー洞窟。絵を描くことは人間にとってどんな意味があるのか。この絵が描かれた当時は
そんなことは考えずにただ本能のまま、狩りの成功の祈りとしてか、描かれていた。
現代人にとって絵を描くことはその狩猟本能のまま、人間が存在する意義が絵に隠されている、
そんな問いを我々に与えてくれる。